1883あるいは84年 |
黒と白のフォックス・テリア、ブリストル(イギリス)に生まれる。脚の裏を噛む(n ip)癖があることから、「ニッパ-」“Nipper”と呼ばれる。飼い主は画家のマ-ク・ヘンリ -・バロ-ド。 |
1887年 |
画家の死去にともない、ニッパ-は同じく画家である弟のフランシス・バロ-ドに引き 取られる。 |
1895年 |
ニッパ-、11歳で死亡、ロンドン郊外ドゥ-ハムズ・ガ-デンの桑の木の下にうめら れる。 エミ-ル・ベルリナ-、ベルリナ-・グラモフォン・カンパニ-設立。 |
1898年頃 |
フランシス・バロ-ド、“His Master’s Voice”の絵の最初のバ-ジョンを描く、この ときの蓄音機はシリンダ-・タイプのもの。 |
1898年 |
4月 トレヴァ-・ウイリアムスとバリ-・オ-ウェン、グラモフォン社設立。 |
1899年 |
5月31日 フランシス・バロ-ド、“His Master’s Voice”の絵の最初のバ-ジョンを持ってグラ モフォン社を訪問。 |
同 |
6月2日 グラモフォン社社長バリ-・オ-ウェン、バロ-ドに6月3日(土)か5日(月)に来 社を乞う手紙を送る。 |
同 |
6月 バロ-ドとグラモフォン社との間で絵の購入についての話し合いがもたれる。 |
同 |
9月15日 グラモフォン社バロ-ドに対して正式に絵の注文をだす、報酬は100ポンドでこれは 絵の代金が50ポンド、版権が50ポンド、購入の条件としては、蓄音機をシリンダ-・タイ プのものではなく、グラモフォン社の新製品にするというもの。 |
同 |
9月16日 バロ-ド、申し出を受理したむねを電報でつたえる。 |
同 |
9月18日 グラモフォン社、蓄音機をピカデリ-126番地のバロ-ドのスタジオに届ける。 |
同 |
1 0月4日 グラモフォン社の代表が“His Master’s Voice”の新しいバ-ジョン(トレ-ドマ-ク) を見にバロ-ドのスタジオを訪問。 |
同 |
10月12日 バロ-ドはグラモフォン社に絵の写真を送る。 |
同 |
10月17日 グラモフォン社に絵が届けられる。 |
1900年 |
1月 イギリス・レコ-ド月報にトレ-ドマ-クの絵が初めて登場する。 |
同 |
4月~5月 エミ-ル・ベルリナ-、グラモフォン社の社長トレヴァ-・ロイド・ウィリアムスと交 渉のためイギリスに滞在。このころベルリナ-はトレ-ドマ-クのオリジナルを見たと思われ る。 |
同 |
5月 ベルリナ-、オ-ウェンに対しトレ-ドマ-クのアメリカでの権利を譲渡してくれるよ う要請、オ-ウェンは承諾する。 |
同 |
5月26日 ベルリナ-、“His Master’s Voice”の絵をトレ-ドマ-クとして申請、6月10日認 可。 |
同 |
5月28日 同じくカナダでも申請。 |
同 |
6月6日 カナダでトレ-ドマ-クおよび版権が認可される。 |
同 |
6月10日 アメリカでも認可。 |
同 |
9~10月 カナダでのベルリナ-・レコ-ドの裏面(この頃レコ-ドは片面盤)にトレ-ドマ- クが現れる。 |
同 |
9月 エルドリッチ・ジョンソン、コンソリデ-テット・ト-キング・マシン社(アメリカ) をスタ-トし、“His Master’s Voice”をトレ-ドマ-クとして使う。 |
同 |
12月 ジョンソン、“Victor”を商標として使い始める。 |
同 |
12月10日 グラモフォン社、社名をグラモフォン&タイプライタ-社(The Gramophon & Typew riter Ltd)にかえる。 |
同 |
12月22日 G&T社“His Master’s Voice”の絵をトレ-ドマ-クとして申請。 |
1901年 |
3月19日 イギリス特許庁、申請を認可。 |
同 |
10月3日 エルドリッジ・ジョンソン、ビクタ-・ト-キング・マシン社(The Victor Talkin g Machine Company)を設立、“His Master’s Voice”の絵と“Victor”を引き続きトレ-ドマ- クとして使用。 1903年12月 ニッパ-、針ケ-スに登場(イギリス)。 |
1904年 |
グラモフォン社、日本でのトレ-ドマ-クの独占使用権をアメリカ・ビクタ-社に譲渡 。 |
1907年 |
11月18日 G&T社、社名をグラモフォン社(The Gramophone Company Ltd.) に戻す。 |
1908年 |
ビクタ-社、両面ディスクを発売しはじめる。 |
1909年 |
2月 ニッパ-、イギリスのレコ-ド・レ-ベルに登場。 |
同 |
7月 ニッパ-、グラモフォン社の蓄音機カタログに登場。 |
1910年 |
7月22日 グラモフォン社、“His Master’s Voice”の絵を“His Master’s Voice”という言葉 と一緒にトレ-ドマ-クとして申請。 |
同 |
10月 グラモフォン社“His Master’s Voice”という言葉のみも商標として申請。 |
同 |
11月 トレ-ドマ-ク認可。 |
1911年 |
1月 “His Master’s Voice”という言葉のみも商標として認可。 |
1913年 |
3月28日 グラモフォン社、バロ-ドにトレ-ドマ-クの絵の複製の製作を打診、翌日バロ-ドは 快諾の電報を打つ、代金は35ポンド。 |
同 |
4月19日 オリジナルと同サイズの複製画が完成、アメリカ・ビクタ-社のジョンソンのもとへ送 られる。以降1923年までの間に24枚のレプリカがバロ-ド本人によって製作される。 |
同 |
5月29日 バロ-ド、グラモフォン社の依頼によりオリジナル画のクリ-ニングおよびつや出しを 引き受ける。報酬は5ポンド15シリング。 |
1915年 |
10月 ニュ-ジャ-ジ-州キャムデンのビクタ-工場の塔に直径約4、5 晙のトレ-ドマ-クの ステンドグラス(4面)が設置される。 |
1919年 |
12月5日 ビクタ-社とグラモフォン社はバロ-ドに対し年250ポンドの年金を申し出る。 |
1920年 |
ビクタ-社、グラモフォン社の株51%取得。 |
1924年 |
3月 バロ-ドの年金350ポンドに上げられる。 |
同 |
8月29日 フランシス・バロ-ド、ロンドンで死去(68歳) |
1927年 |
日本ビクタ-設立。 |
1929年 |
3月15日 RCA、ビクタ-の経営権を取得。 |
1931年 |
4月21日 グラモフォン社とコロムビア蓄音機会社、合併してエレクトリック&ミュ-ジカル・イ ンダストリ-社設立。 |
1950年 |
オ-ストラリア・グラモフォン社創立50周年を記念してトレ-ドマ-クのオリジナル 画がオ-ストラリアへ渡る。 |
同 |
8月4日 ニッパ-の骨が発掘される。 |